2022.12.6
続けること 文:Ena
オンラインセッションを始めて2年以上経つ現在、毎月のメンバーはほぼ固定されてきました。ライフスタイルの変化で時間帯やプログラムが変更になったり、旅好きなガイドばっかなものでとんでもないところから配信したりしていますが、、、いつもライブでお会いする方、アーカイブをいつも使っているという方、本当にありがとうございます。時々、勇気を持って新規で登録してくれる方、ありがとうございます。
ヨガをすることが生活の一部になり、ずっと続いていると言ってくださり、ああ嬉しいな嬉しいなと思っている。
さて。少し前、10年ぶりくらいに京都では老舗のナチュラルワインを飲めるビストロに行った。ご夫婦でされているそのお店は、物静かな旦那様が料理をして、いい具合にほったらかして、必要な時に必要なことだけを語ってくれる奥さまがサーブをしてくれる。15年を迎えられるそのお店は、お二人のパッションはそのまま、お店の雰囲気もそのまま、ワインへの愛も冷めぬままだった。
ナチュラルワインの世界の大きな変化を感じながらも、お二人は生産者さんに敬意を忘れず、相変わらずクローズ後は一緒にワインを飲んでいると言っていた。(素敵♡)
先日Mr.monkが独立前にいたピザレストランへ行った。それも10年ぶりほど。歴史のある立派な京町家の貫禄はそのままに、設えもメニュー、クオリティも変わらないことに心底ホッとした。
Mr.monkとオープンの頃からお店を続け、彼からお店を引き継いでずっと続けている店主は、ここに来たらこれが食べられるっていうのを大切にしたいと言っていた。
変化の大きい時代を生きている私たち。
常に変わることが大事で、変化の波に乗るスピードを問われるような風潮があるように感じる時もある。もちろんそれもとても素晴らしいことだと思う。
でも、新しいことをしてなんぼ、個を出してなんぼ、何者かになってなんぼ、、、なのだろうか。フォロワーが大事?あっという間に◯◯マスターになれる?
SNSの普及により、簡単に映えることができるようになった。でも、そこに本当に中身は伴っているのだろうか。
敢えて変わらないことを選ぶこと、同じこと(とは言っても側からはわからないような微細なアップデートを繰り返されている)を淡々と長く長く続けることの尊さを噛み締めて、猛烈に感動した。
それができる人にはかなわないな。
私も、本当に大切なことを見極めて、1日1cmずつでも、目に見えないくらいわずかでも、日々の成長を重ねていきたい。誰かに見せる自分じゃなく、自分自身に誠実に生きていきたい。
そしてその先に見える景色を見てみたい。
私はそうあろう。
最近、そんなことを深く思っています。
2022.8.14
- 「Both Sides Now」 ( 文:Kei)
2022年 夏休み。
スタジオ、レストラン共に7月から8月にかけて1カ月夏休み中。
随分と更新が滞っておりましたが。。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
先日、『コーダ あいのうた』という映画を観ました。周りからいいよいいよと言われながら、ようやくゆっくりと鑑賞することができました。
ブラックユーモアも飛び交う映画で小さなお子さまがいらっしゃる方には一緒に観るのはちょっとな〜って感じなんですが、、、この映画がなんか良かった。
大学生の時に結婚式の音響のバイトをやっていたのですが、式の最中にかけて欲しいとリクエストが多かったのがカナダのアーティストJoni Mitchellの歌う『Both sides now』。
邦題は『青春の光と影』
みなさんも一度は聴いたことがあるのではないでしょうか。
当時はカーペンターズの『I need to be in Love (青春の輝き)』と、どっちだったっけ、ってなるくらいよくわかっていなかった私。
『Both sides now』は、言葉の流れが綺麗〜とか、感覚的な歌詞だな〜と思っていたのですが、あらためてちゃんと聴いて見るとすごく良いんです。
『コーダ あいのうた』では、終盤に主人公のEmilia Jonesが、手話をしながらこの歌を歌うのですが、Joni Mitchellの揺らぎのあるとってもあやう〜い声もすごく好きなのですが、Emiliaバージョンはとっても力強くて優しくて、聴いているととても染み入ります。泣いてしまいそうになるくらい心に飛び込んできます。
雲を、愛を、人生を、両側からも上からも下からも見てみたけど、結局本当のところはよくわかっていないのだ。という感じの内容の歌詞です。
う〜んしみる。
わかっているつもりになってしまうことってたくさんある、もちろん私もです。わからないから、人はいろんなものを形にしたいと思ったり、取るに足りない小さな自分を知った時に、心地いいものに囲まれていたいとか、やりがいを感じたいとか、愛されたいとか思ってしまうのも、とても自然なことだなと、この歌詞を見ながらそう感じていました。
すごく哲学的な歌詞だけど、自分らしい日々を重ねていかなくっちゃな、と、胸がジンとした真夏の夜。
『Both sides now』(Joni Mitchell)
I’ve looked at clouds from both sides now.
From up and down and still somehow.
It’s cloud illusions recall.
I really don’t know clouds at all.
I’ve looked at love from both sides now.
From give and take and still somehow.
It’s love illusions recall.
I really don’t know love at all.
I’ve looked at life from both sides now.
From win and lose and still somehow.
It’s life illusions recall.
I really don’t know life at all.
2022.3.1
リオープンから1年(Ena)
少しずつ寒さが緩んで、春の気配が漂ってきた頃。
2月28日 Studio monkがリオープンして1年経ちました。
いつもと変わらずスタジオの窓を開け、鳥の声を聴きながら1年を振り返りました。
相変わらず、私たちガイドがヨガをして得られる恩恵をお伝えしたり、私たちが最高!面白そう!と思うことだけを企画してシェアしていますが、有難いことにたくさんの方に足を運んでいただき、毎回一緒に感動を味わうことができていること、本当に嬉しく思います。
Studio monkのコンセプト
“HARMONY” “ENLIGHTENMENT” “JOY”
に今一度立ち返り、私自身、日々の暮らしにある小さな変化や感動を受け取れるよう、常に心にスペースをそして心をピュアにしていよう
そんな風に襟を正した日となりました。
これからもmonkお二階でお待ちしております。
どうぞよろしくお願いします。
2021.11.29
坐ってみるということ(文:Ena)
Studio monk初開催の朝の座禅
僧侶の米澤さんは金継ぎのWSでお会いしたご縁だ。
金継ぎの時、米澤さんから放たれる穏やかで静かなオーラと無駄のない静かな動きになんだか惹かれた。米澤さんが割れてしまった器をそれはそれは大切に、でも和やかに修復されていく姿にこのお坊さんは本物だ!と思った。
米澤さんが毎朝座禅を組まれていること、コロナのこともありオンラインでも座禅を教えていることを知ってStudio monkでの座禅の会をオファーした。
晩秋の早朝、凛とした空気の中、座禅の会が始まった。
「何はともあれまず座ってみましょう」から始まった座禅。
その後、米澤さんは座禅の話の中で、「座禅って何でしょうね。僕も分からないけれど座っています」とおっしゃった。
とはいえ、座禅についてのお話はとてもわかりやすく的確で心にとても響くものばかり。実践されているからこそ伝わる話。
最後に座った15分間。心身ともにリラックスして心地の良い時間の中、
ラスト3分、東山から顔を出したお日様の光がスタジオに流れ込んできた。
瞑想と違い、半眼で行う座禅。
眠るのでもなく覚醒しているのでもない、とろんとした状態の私の瞳に飛び込んできた柔らかに輝く光はまるで命の輝きを具現化しているような、言葉では言い表せない喜びに満ちたものだった。
何かになろうとしなくていい、何かの境地に至ろうとしなくていい、わからなくてもいい。
ただ心が素直で喜びに満ちた状態であることに気づけたら。
これを幸せと呼ぶのでしょう。
2021.8.17
Forest work in the woods(文:ENA)
五山の送り火も終わり、京都は秋の訪れを感じる風が吹き始めた。
涼しい風を感じながら八ヶ岳の麓で過ごした日々を思い返す。
関西から遠く離れた地で、大人も子供も森の中で過ごした記憶。
森の匂い、踏みしめた土の感触、音、毎日の激しく美しい雷雨。
だんだんと暮れていく中でのmonkオーナーシェフ今井義浩によるプリミティブな食事。その香り、味、旅を共にした仲間との会話。食事の終わりには真っ暗で、キャンドルやランタンの明かりの中で過ごしたこと。
間も無く1ヶ月経つが、皆さんの記憶にどれくらい残っているだろうか。
予想以上に参加の多かった子供たちはたくましく、よく食べよく遊んでいた。
約2年間マスク生活や、お出かけの制限などを強いられてきている子供たちの心にはどんな思い出となっているだろうか。
私は、14名の子供たちが、食事会場で皮ごと焼かれたとうもろこしを驚きと喜びの表情を見せながら手に取り夢中で剥いて、むしゃむしゃかぶりついている姿がとても印象に残っている。
1人1本くらいいけるんじゃない〜?という予想は見事命中した。
朝のヨーガの時間、静かで美しい時間。
キャンプ場という環境、少しの不便のある時間の中で、ふと気がつくと何もかも満たされているという気づき。
森の中で働いた私たちのSENSEが、これからの生活の中でふと作用する時があるとするならそれ以上の喜びはありません。
そして私たち夫婦としても、これからの私たちの向かう先がより明確になったようなそんな旅でした。
ご参加くださったあなたとあなたとあなたとあなたと、、、、、、、、、、、、
清里の森をガイドしてくださったswiss カズさん、
森を通して地球の向かう先を教えてくださったcamino natural lab よしかさん
キッズを清里の森へ誘ってくださった正子さん
美味しい野菜を提供してくださった石毛さん
たくさんアレンジしてくださったPICA八ヶ岳明野の高島さん
monkファミリーのケイさん、リョウさん
そして、あの地でご縁のあった皆さん
本当にありがとうございました。
photo by soelu57 (素敵な写真をありがとう)
2021.5.15
祈ること (文:RYO)
‘祈ること’ (文:RYO)
京都でできる一日お遍路、
御室八十八箇所霊場。
仁和寺の裏、成就山山道にお堂が点在し、それぞれのご本尊・弘法大師が祀られている。
四国八十八箇所の写しである札所を数時間で巡ることができ、成就すれば四国八十八箇所霊場巡礼と同じご利益を得ることができるとされる。
新緑に守られ、この山道を歩かせていただいた。
山道を登ったり、少し降ったり、
陽射しを受けるほど、風に吹かれるほど
私は生かされていた。
寺社で手を合わせる時、それが88回も行うのだとしても、祈願成就を願うことはない。
目の前に広がることへ、心が落ち着いた状態で前向きに取り組めるように、心の中で宣言する。
人知をこえた大いなるものに聞いてもらうのだ。
‘祈ること’
その偉大さは知らない。
それでも、
心の宣言が自分自身とのつながりとなり、
自らの行いとなり、
私に関わってくれる全ての人やことがらに良き風が吹けば、
光がさせば、
それが私が祈ることのご褒美になるのだと思う。
Photo:Yuka Yanazume
2021.4.30
「Sense of wonder 」 (文:ENA)
オトナになるということ
物理的に身体が変化していくということ
時間の流れが分かり、予測をしたり効率的に動けるようになること
感情を隠したり、大袈裟にしたり、当たり障りのない対応ができるようになること
言葉を巧みに使って、表現できること
必要外には涙を流さなくなること
3月にmonkのプロジェクトメンバーで1週間程沖縄の南城市に滞在した。
そこでの体験が言葉にできないほど感動的で、1ヶ月経った今でもまだ余韻に浸り、いつでもあの地へ脳内トリップ出来てしまうほどだ。
3月の沖縄は少し肌寒さを感じる日もあったが、からりとしていて日差しは強く、南国の花が咲き、亜熱帯特有の緑が萌えていた。
子供たちは、日に日に野生化していき、裸足で駆け回りこんがり日焼けをして、2人目の息子ハルは、日光が燦々と降り注ぐビーチで生まれたままの姿で3歳のお誕生日のお祝いをしてもらった。
私たち大人は、それぞれが活動しているそれぞれの場所から、それぞれのタイミングで集合して日々を共にした。
大人になってから大勢で行動することなんてなかったけれど、起こる出来事全てが何もかもパーフェクトで、大袈裟でもなんでもなく一瞬一瞬が輝いて見えた。
そして最初に挙げた”オトナ”の定義をいい意味でどんどん壊されて、私たちに備わっているSenseがシンプルになっていくような気がした。
全員が集合した最終日、大人だけで食事をした。
関根麻子さんが一人で営まれている”胃袋”というお店。(1つ前のケイさんのジャーナルもご覧ください)
食事をして涙が出たなんて初めての体験だった。
あの場を共有するのに言葉なんて必要なかった。南国の風に乗って自由にダンスする植物たちを見ながら、麻子さんの魔法にかけられたわたし(たち。きっとみんな)は、まるで時が止まってしまったかのような静かで深い感覚の中をフローしていた。
体と心全部がセンサーになって、お食事と時間と空間を味わう。
大人になって良かったなあ、みんなで声を揃えて笑った。
オトナにになるということ
美しいものに触れて美しいと感じる心を磨けること
素敵をシェアできる人たちと一緒に過ごす時間を作れること
持たなくてもいいこと、しなくてもいいことを選べること
美味しいお酒と食事をいただけること(笑)
想い全てを言葉にする必要はないということ
私がヨガを続ける理由は、きっと心の感度を磨き続けるためなのだろう。
4月の終わり、哲学の道の緑が日に日に濃くなる美しさを、雨の日の艶っぽさを、生命が輝いていることを、体と心全部で感じていたい。
いつでも生まれたてのピカピカしたスピリットでこの混沌として美しい世界を泳いでいたい。
そして、麻子さんのようにとはおこがましくて言えないけれど、Studio monkに来てくれた人が、静かに深い感動に浸れるような場を作れたら、そう思っている。
沖縄南城にまだ恋をしています。
2021.4.6
「スタイルのある人」(文:KEI)
何気なく友人に「好きなお店ある?」と聞いた。
「1位 生鮮館ナカムラ」
「2位 マルギン」
「3位 HELP」
どれも京都市左京区で地域に密着している名スーパーだ。
彼女はケータリングを生業としていて、
職業柄、出てきた”良いお店”は全てスーパーだった。
彼女のスタイルが突如飛び出してきた瞬間。
スタイルが確立しているというのはこういうことなのかもしれない。
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3月、Monkメンバーで沖縄へ行った。
程よい湿気と生温かさに包まれた南城という場所、私たちは自然素材を使ったレストランに足を運びみんなで食事をした。
濃い緑色の植物たちが風に吹かれている様子を窓の外に眺めながら、みんな同じ方向に座り、それぞれに食事をいただく。どういうわけかみんな自然と口数が減り、ただ同じ空間に存在しながら、食事瞑想へと変化。
また、今帰仁という場所に滞在した時は、地元に住む人たちとたくさん話をした。みんなとても伸び伸びしていて、大人たちが植物や食材の話で盛り上がっていたのがとても印象的だった。
沖縄に対する想いや実情、仕事のことなど話してくれて、これまで沖縄に何度も訪れているのに、恥ずかしながら、沖縄の食、人、文化、にちゃんと向き合えたのは初めてかもしれない、という気持ちになった。
最後に滞在したやんばるという森林地帯では、お宿のダブルブッキングに車のトラブル、そのほかにもたくさんの問題が続いて、思うように毎日が進まなかった。最終的には濃霧でやんばるから出られなくなり、もうまじむかつく!!という気持ちも通り越して、私の中に溜まっていた毒素のようなものがちょっとずつ出ていったような気持ち、、。(京都に戻ってきてからも、デトックスは続いています、、、)
東京からやんばるに移住して十数年という宿のホストも”けいさんにとって無駄なことはひとつもないですよね”と言ってくださった。
時間をともにしたMonkのメンバーや出会った方々全てに”スタイル”があった。
自分にとっての”良い”を理解しているから、やらなくて良いことが明確に見えている、という感じだろうか。
やんばるの宿で読んだ本に、
「遠くの山々を見ながら、鳥の声を聞きながら、ベランダで収穫したものを選別したり、種をふるいにかけたり、といった作業をすることがとても好きです。緑色も好きだし、カレーも好きだけど、そういった類の「好き」ではなくて、もうそれだけで、人生が終わって仕舞えばいいのに、、、と思うくらい「好き」なのです。」
という一節があった。
好きなことをして暮らしたい、というのは一体どういうことか。
自分のスタイルとはどういうことか。
私たちは何を「しなくても良い」のだろう。
スタイルのある人たちは、一体何を「していない」んだろう。
いろいろ考えさせてもらったいい時間だった。
作るべきは、To do リストではなく、Stop doing リスト、なのかもしれない。
この旅のきっかけをくれた今井シェフ&エナさん、そして時間を共にしてくださった方々に心から感謝!
写真:Yuka Yanazume
2021.3.23
「春」(文:ENA)
春分を迎えて。
今年もまた哲学の道に春が来ました。
2年前まではこの時期、哲学の道には様々な国の言語が飛び交い、歩行者の渋滞が出来、砂埃が立ち込めていた。それが去年世界は一変して、世の中から哲学の道が忘れられてしまったんじゃないかと思ったのはまだ記憶に新しい。
それでも桜や雪柳は自然の法則のもと、何の影響もなく堂々と咲き誇り、今まで見る側だった私が一斉に見られているようで何とも言えない気持ちになったことを覚えている。
そして、夜空を見上げるといつも何機も飛んでいた飛行機が、すっかり見えなかったことも。
あの春、私を含め多くの人が自分自身と深く向き合い「わたしとは」と考えたはず。1年前きっとみんな種を蒔いたんじゃないかな。
既に芽が出た人も、まだまだ根を張っている人もいると思うけれど、私たちはとにかく淡々と自分の畑を耕し続けるしかないんだと思う。誰かに耕してもらったり、誰かの畑を耕すことはできないのだから。どんな芽が出てどんな風に育っていくのか楽しみにしながら。
四方八方に強く張った根から芽が出て太い幹となり花を咲かせて実を結ぶ。
そのために私たちは、必要な栄養と水を注ごう。
ちなみに、私の芽のようなもの、どんどん育っていると思います。
私の選択一つ一つがその芽を育てるのだから大切に育てよう。
自然の法則が働いて、哲学の道は今年もまた桜で埋め尽くされそうです。
是非スタジオに来れる方はお越しください。リアルで、そしてオンラインでも感動を共にしたいな。スタジオからの景色は本当に圧巻なんですよ。
2021年の春もmonkお二階にてお待ちしております。
(文:ENA)
2021.3.5
「Our life in Monk」 (文:KEI)
2020年の夏。
「とりあえずケイさん、ハグしよう」
エナさんがそう言った。
上賀茂神社の御神水に足をつけ、御手洗川を行ったり来たり、
2人でこれからのstudiomonkについて話をした。
遅すぎる青春。
コロナ渦。
studiomonkもマイナーチェンジを繰り返す日々で、楽しくも忙しい毎日だった。
私がstudiomonkのマネジメントを担当するようになってから3年。
人がたくさんいればいろいろ起こる。エナさんとは楽しい時間も辛い時間も一緒に過ごした。
心の機微や趣を読むことが苦手(要は空気読めない)で調整役はまだまだ半人前な私は、客観的視点を養うことをこの場で学んでいる。マネージャーという立場はとてもチャレンジングでありがたい。失敗も多く、理不尽なことに立ち尽くしたり、不甲斐なさに申し訳なくなったりする。青春ふうに言えば、小さな規模でも良いから誰かと一緒に叶えたい何かがあるのだと信じたいのです。
私がエナさんを「ヨガ的だ」と表現するのには理由がある。
エナさんはいつも機嫌が良い。
これは誰にでもできることではないなと思う。
エナさんのシンプルでナチュラルなライフスタイルやクラスが安定してそこにあり、だからこそstudiomonkがあるのだと思っている。Studiomonkのアイコンである。
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先日、studiomonkのリニューアルに際し、アムリタトシさんの哲学講座が開かれ、私もそれを受講した。トシさんはインドでヨガを体系的に学び、心や体で実践を繰り返し、それを「トシさんの言葉」というフィルターを通して伝えてくれた。
私たちはなぜヨガを練習するのだろう。
痩せたい?
だれかにみて欲しい?
自己実現?
哲学を勉強したい?
健康になりたい?
幸せの価値基準は人それぞれだから、理由はどんなものでも良いと思っている。
講座の中で、
「ヨガの練習 = 外側に幸せを求めない練習」
という言葉があった。
そして、
「外側は、外側に保つ」
という言葉もあった。
自分が幸せだと思うものをようやく得たとき、その視点はちゃんと自分自身に向かっているだろうか。
知らず知らずのうちに外側へと向かってしまう視点は、何を得ても満たされない自分を作ってゆくのかもしれないと、背筋が伸びた。
肉体や心が成長してゆく過程がじぶんの人生でありドラマなのだろう。
私もたくさん学び失敗して、いつも機嫌よくいたいと心から思えた時間だった。
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「とりあえずケイさん、ハグしよう」
とエナさんに言われ、私は心が解けた。
「これからぶちかまそうぜ」
奔放で見切り発車的で少しのあやうさが見えるところも魅力。
どこか自分を映し出しているこのエナさんという女性に、いつも親近感が湧く。
この日は夏の終わりで少し涼しく、境内のかき氷を食べながら心の底から感謝したことを鮮明に覚えている!
2021.2.21
「New Biginning.」(文:ENA)
早朝のオンラインクラスを終えて、明るくなってくるスタジオで築100年ほどの天井を見上げてみる。
旦那さんがここにお店を構えて5年が過ぎた。
長女が生まれた1ヶ月後、初めてこの物件を見に来た時のことを今でも鮮やかに思い出す。
古い古い日本家屋、天井は低く、床は傾き、これがお店になるのかしら、、、、というのが正直な感想だった。
産後1ヶ月のふわふわとしている私に、旦那さんが「二階でヨガしたらどう?」と提案してくれた。自分がどんな返事をして、話が進んで行ったのかは正直覚えていない。窓は大事だから変えてほしいとリクエストしたこと以外。
monkがオープンして数ヶ月後、Studio monkとして小さなスタートを切った。小さな小さなスタジオでのヨガタイムは私の生活だった。
そして2人目の妊娠を期に、スタジオをレンタルスタイルに変更、その際に出会ったのがケイさん(Studio monkのマネージャー)だ。初めてスタジオで会った時の、初対面とは思えなかった感覚を覚えている。使ってください使ってください!そんなStudio monkの第2ページの始まり。
そこから3年、ケイさんがよく言っている「Studio monkの場の力は凄いから」という言葉に、この場だからできることをしたいな、そう思っていた。
そして3人目の妊娠、そしてコロナの大流行。Studio monkもクローズしたりオンラインクラスを開設したり。3度目とはいえ、出産という大きなイベント真っ只中の私に代わって、当時スタジオに関わっていたみんながたくさんの知恵を出し合ってくれたからこそ出来たことだった。
そんな中、私はStudio monkをどうしたいのだろう、私はどうありたいのだろう、そしてその先に何を見たいのだろう。漠然と答えは見えているもののさらに深く考えるようになった。
このままでも良いのかもしれない、でも変わるべき時が来ている、そのために一度止まる必要がある、私の答えに迷いはなかった。
スタジオを一旦クローズして4ヶ月。私の中での問いはずっと続いていたある日、尊敬する女性が書かれた本の中の言葉にハッとした。
“Enlightenment”
簡単に説明すると、一人ひとりのハートに灯った小さな灯りが、周りを照らし、影響し合い共に成長していき、やがて人は、魂の仕事に目覚めるというもの。それは、私の大好きなデンマークにある成人学校「フォルケホイスコーレ」の創始者「グルンドヴィ」の理念だ。そのために、フォルケホイスコーレでは、様々なアクティビティを通して、感情を掘り起こしていくのだという。
この場だからできること。ヨーガの叡智とレストランmonkのフィロソフィーが絡み合い、ここに集う人の心に灯りを灯す場としてありたい。漠然と見えていたものが確信に変わった瞬間だった。
そう決めたら、私の周りには自分の魂の仕事を謳歌している人がたくさんいて、あっという間に道がついていった。
ここに集う人の灯火が共鳴し合えばいいな、みんなの命がさらに輝くそんな場を提供できればいいな、心からそう思います。
まだ見ぬ出会いや再会に、すでに胸が高鳴っている私を、時代を感じる天井が優しく包み、Studio monkの3ページ目を祝福してくれているように感じます。
2月28日いよいよStudio monkの新しいはじまりです。
哲学の道monkのお二階にてお待ちしております。
Studio monk Reopenに寄せて
Ena