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2024.4.25

Next chapter  /  Ena

この春から大原にて農を始めた。
春休みは子供達も一緒に毎日畑で過ごし、4月にしてみんな既にこんがりと日焼けしている。

これまで家族でいろんなところを旅してきて、とんでもない田舎や遠い海外なんかも視野に入れながら”次のステップがあるとするなら”のことを考えていた。

でもある日、ふと見た不動産情報に大原に売農地。
そこからあれよあれよと話は進み、手続きを済ませて、寒さ和らぐ3月。畑作業が始まった。

すごくナチュラルに、それでいて一気に私たちは京都という地に根を張る覚悟を決めることになったのだ。

 

まずは鹿避けのフェンスを立てるところから。広大な農地をぐるりと囲むフェンス。これだけでも結構な出費と労力。
昔、田舎の農家のおっちゃん達が鹿対策の話に一喜一憂していたことが思い出される。

そして何故だか掘れば掘るほど出てくる大小様々な石ころ。隣に川が流れているので昔は河原だったのだろうか。
子供用の一輪車を買ってもらった息子は嬉しそうにそれを押しながら夢中で石を拾っている。

そして、畝作り、苗つけ、種まきと一気に進む。
今はまだふわふわと風に揺れる苗、そして新芽たちが数ヶ月後どんな姿になって畑にいるのか楽しみで仕方がない。

 

 

畑作業をしてみて感じたこと。
畑作業は、今ここでしかないということ。まさにマインドフルネスなのだ。

石を拾うこと、鍬を打つこと、種を蒔くこと、水をやることなど、全て目の前の作業に集中するしかないということ。
陽の光を浴びながら土に触れ、泥んこになりながら体を使って汗を流す、これだけで本当に体や心がすっきりする。そして外で食べるご飯が、信じられないほど美味しい。そして1日の終わりにはベッドに沈み込んでいくようにぐっすり眠れるのだ。
生活を変えたい人、マルチタスクをこなしまくっている人、悩みがこんがらがってしまっている人には畑作業を心からオススメしたい。

 

また、これまで私は野菜を買う消費者だったのだけれど、作る側になってみて思う。いい野菜も悪い野菜もないのだと。
一つの野菜が育つまで、どれだけの作業、労力が必要か分かってきた(ところ)。
どれも大切に育てられた野菜たち、そこに敬意を払って有難くいただかなければならないなと。それをさらに無農薬で育てるという選択、種を繋いでいくという選択をされている方の更なる努力にリスペクトしかない。

 

そして、畑にいる私、地球にいる私、宇宙にいる私、全ての生命が関わり合って存在していることをありありと感じる。
広大な畑にいるとそんな大きな宇宙観も最も簡単に実感できるのだ。

 

一気に生活に厚みが増した私たちmonk family。

これまで、天気予報を見て暮らすことなんてなかったのだけれど、今では週刊天気予報までチェックしている。

にわか雨が降れば今ごろ植物たちが喜んでいるだろうかと思いを馳せたり、長雨や好天ばかりが続けば心配になったりしている。

子供たちは大人になったらツリーハウスを作りたいと言い木を植え、鶏を飼うことを楽しみにしている。

 

数ヶ月もすれば、monkには毎朝土付きの野菜が届き、そこからの仕込みが始まる。夜のサービスで提供される料理にも大きな変化が現れるはず。

Studio monkも近い将来、Farm dayを開催して、上記の通りみんなでマインドフルネス畑作業をしてからもりもりご飯を食べたり、野菜やハーブを摘んだり、ヨガをしたり、テントサウナしたり、、、もっともっと自然を感じる場として変化していくだろう。

 

そんな楽しい妄想をしながらの畑作業。

楽しみで仕方がない。

 

経過報告はまた追って。    (文・Ena)

 

 

We started farming in Ohara this spring.
During spring vacation, we spent every day in the fields together, and in April we are all already tanned and glowing.

We have traveled to many places with our family, and we were thinking about “the next step, if there is such a thing” while looking into the crazy countryside and faraway foreign countries.

But one day, I saw a real estate listing for a farm for sale in Ohara.
The process went from there, and after completing the necessary paperwork, in March, when the weather was getting milder, we started working in the fields. In March, when the weather was mildly cold, we started working in the farm.

It was so natural, yet at once we decided to put down roots in the land of Kyoto.

 

What I felt when I worked in the farm.
That farm work is only about the here and now. It is truly mindfulness.

That picking up stones, hoeing, sowing seeds, watering, etc., all have to be focused on the task at hand.
Touching the soil in the sunlight, getting muddy and sweating with my body, this alone really refreshes my body and mind. And the food I eat outside is unbelievably delicious. And end of the day, I sleep so well that I sink into my bed at night.
I truly recommend working in the farm to anyone who wants to change their life, who is multitasking all the time, or who has a lot of worries that are getting complicated.

 

I used to be a consumer who buys vegetables, but now that I am a grower, I realize that there is no such thing as good or bad vegetables. There are no good or bad vegetables.
I have come to realize how much work and effort it takes to grow a single vegetable (just now).
All vegetables are grown with great care, and I feel that I must pay respect to them and eat them with gratitude. I have nothing but respect for those who choose to grow these vegetables without pesticides, and for those who choose to pass on the seeds to future generations.

 

I also feel that I am in the farm, on the earth, and in the universe, and that all life exists in relationship with each other.
It is the easiest way to experience such a big view of the universe when you are in a vast farm.

We, the monk family, have become to live fulfilling life.

We never used to watch the weather before, but now we even check the weekly weather news.

If it rains a little, I wonder if the plants are happy, and if it rains long or if the weather is nice all the time, I worry.

The children are looking forward to building a tree house, and are looking forward to have chickens in the farm.

 

In a few months, we will pick up vegetables with soil every morning and start preparing them. There will be a big change in the dishes served at the evening service.

In the near future, Studio monk will also be transformed into a place where people can feel more and more in touch with nature by holding Farm Day, eating healthy meals after working in the farm with mindfulness as described above, picking vegetables and herbs, doing yoga, having tent saunas, and so on.

 

Working in the farm with such pleasant imagination.

I can’t help but look forward to it.

 

I’ll keep you posted on the progress.

Ena

 

 

2023.10.31

肩の日焼けが見るたび少しずつ薄くなっていく。

 

 

一人旅の行く先をハワイに決めたのは、Maryからヨガを学びたいと思ったからなのだけれど、もう一つカウアイ島に行ってみたいという願いもあったからだ。

 

ヨガを学び伝え始めた約15年ほど前に友人であり私のキーパーソンである女性をきっかけに知った島の名前、”カウアイ島”

ハワイになんて全然興味がなかったのだけれど、なぜだか、しかもカウアイ島のことなんて場所すらも知らないのに、ずうっと行ってみたいと思っていた場所。

 

実はコロナ禍終盤にMr.monkと”なんの制限もなくてどこ行ってもいいよって言われたどこにする?”という夢しかない話を時々していて。2人の中で挙がっていたのが「タスマニア島」と「カウアイ島」だった。

この話から数日後、Mr.monkがタスマニア行きを引き寄せ、タスマニアから帰国後すぐにカウアイ行きの話まで引き寄せてしまったのだから自分でも驚いた。

 

さて。

オアフ島へ行くことは決まり、宿泊先もエアチケットも早々と押さえていたのだが、カウアイへ行くかもしれない2泊は全くのノープランでオアフ入りした。
決めていかないことの方が良いように感じていたからだ。

 

Maryにも初日にカウアイに行ってみたいんだよねって話してはいたが、円安の影響もあり、カウアイにステイすることはかなり高額、しかも手頃なホテルはなかなか見つからない、家族の元へ早く戻った方がよい(ような気がする)、やっぱりカウアイに行かなくてもいいんじゃないか、、、とまで思ったその矢先にMaryから紹介されたDavid。

連絡とってみるとOrganic farmの中に持っているプライベートコテージを貸してくださるとのこと。これは!と全て流れに任せてカウアイ島行きを進めた。
こうなってくると何が起こってもワクワクする。途中のハプニングも、飛行機の遅延すらも。

 

カウアイ島へはオアフ島から40分。

空港に降り立った時の感覚は、オアフより静かで緑が濃くてしっとりしているという感じ。

 

タクシーに乗り、たどり着いた場所は、赤土の広大な農園。パパイヤやバナナの木など、たくさんの植物があちこちに生えている。

そのオーナーのDavidは長年インドに住んでいたという目の奥がとても優しいおじさま。明朝早くに数週間の座禅のリトリートに行くから、君にはもう会えないけれど居たいだけいたらいいからねと、お部屋に花とフルーツを飾り待っていてくれた。もうそのファームのバナナとパパイヤの美味しさったら!目が丸くなるほど美味しくてこれはまた絶対に食べたい唯一のハワイの食べ物かも、、、、笑

そして滞在したコテージは、キッチン、バスタブ、洗濯機付きと、これまでの小屋に比べたらとってもラグジュアリー。最高に素敵で快適なのだが、なんと窓がなく360°網戸。ベッドルームも枕元全て網戸。シャワールームも。すごい解放感。
唯一真っ暗闇で揺れるバナナリーフの音や早朝から散歩する鶏か何かの音には多少びびったけれど、日本では味わえないフルオープンな感覚を堪能。人って受け入れて馴染んでしまえばなんとでもなるんだからつくづく面白い。

 

カウアイ島トリップで唯一予定していたヒンドゥテンプル参拝。予約者しか入れないはずの礼拝堂に何故か入れてもらえ、プージャの様子を全身で感じる。実家がお寺なので、お経や法要の雰囲気は馴染みがあるのだが、また違った雰囲気に最初は戸惑いながらも、分かろうとしない、全神経を集中させて感じる、それを意識した。そして、、、作法を教えてもらいながら灰を眉間(サードアイ)に付けた時、何かが込み上げてきて涙腺崩壊寸前。

 

その後、陽気なUberドライバーといろんな話をしながら、宿泊先から一番近いビーチへ行く。

そこでは何をするでもなくただ海を見る。蟹が穴から出たり引っ込んだりする様子を見て、子どもたちがいたら大喜びだろうなとか、絶対キャーキャーいって走り回ってびしょ濡れになるんだろうなとか。離れた家族を想ったり、そして今こうして1人味わっているこの景色の贅沢さに感動したり。

そんな思考はあったとは思うけれど、だんだんとクリアになっていく。
母でもなく、monkさんの奥さんでもなく、いちスタジオオーナーでもなく、女性でもなんでもなくなっていく。

 

気づくと私はただただ号泣していた。

 

その時の私は、カウアイヴァイブスの中、プージャと波でピッカピカに磨かれた石のようだと例えるとわかりやすいかもしれない。

40年生きてきて、いろんな色を塗り重ね、削ったりくっつけたりして私を創り、まあゴツゴツしていた自分自身が、生まれたてみたいに真っ新になった感覚。

今こうして言葉にしているけれど、その時はただ目から水が流れているだけ、言葉もない感情もない、母胎から出て呼吸するために泣く赤ちゃんと同じようだったと思う。

 

これまでが辛かったわけではない、現在の状況に一切不満もない。でも頑張っていた、3人の子供を育てること、そして善く生きようとすること。

だから本気で戻ってみたかったのかもしれない、何者でもない本当に無邪気な自分に。今ここに最大限focal pointを置くために。

日々、私がヨガをして瞑想するのもそういうことなんだろう。

 

そんなこんなでカウアイでも素晴らしい体験をした私。まさにspritual journeyだった。

 

最後にワイキキで、高層ビルとか、高級ブティックとか、さほど美味しくもないベーカリーに群がるスマホかざした日本人に混じるというオチのような the Hawaii体験もして帰国したのだけど、これもまた良き思い出。(それが悪いわけじゃないです、私がハワイを知らなかっただけ)

 

帰国して、あっという間に母に、娘に、monkさんの奥さんに、スタジオオーナーに、ガイドに、近所の子供たちのおばちゃんに戻り、毎日忙しく色んな役割をもらって日常を送っている。今日はこれとこれとこれとこれして、、、すっかりハワイでの緩やかな時間は過去のことになったけれど。

1ヶ月以上経つ今でも、ベースに揺るぎない太い一本のラインがあって、プラスにいってもマイナスにいってもすぐベースに戻ってこれるそんな感覚。目を閉じるとからりとした青空、風、太陽の光、星空、鳥の声、赤土、美しい雨粒、マントラ。

 

 

ハワイでの思い出は、これからももっと日常に溶けていってしまうのだろうけれど、溶け込んだ先、また続いていく自分の人生がどんな風に展開していくのかたまらなく楽しみ。
この肉体と心を使って、今を最大限味わい尽くしていこう。

 

 

 

 

 

the ocean

 

 

 

 

 

 

2023.10.14

 

単身ハワイ旅からもう既に1ヶ月が経とうとしています。

 

帰国後、思い出に浸ることも振り返ることもなく、毎日が充実して前しか見られない状況なのだけれど、ありがたいことにたくさんの方から、ハワイどうだった?なんで行ったん?と聞いていただくので、したこと感じたことを記しておこうと思います。

 

一人旅は実に約10年前のインド旅以来。

今回の旅の目的はオアフ島のノースショアエリアにて開催されたヨガリトリートに参加するためだった。

コロナ禍、英語の勉強も兼ねヨガのレッスンを受けたいと思い、たまたま画面越しに出会ったOpen yoga spaceのMaryのヨーガをいつか直接受けたい!そんな私の気持ちが通じてしまったのか、初めての地元でのリトリート開催となり、私は即決。

もちろん、まだ幼い子がいるためうまくいくかどうかは最後まで怪しかったけれど、母はもう行くしかないのだという物凄いエネルギーに家族、双方の両親親族を巻き込んでしまった形になる。

 

そして、誰も日本人がいないところへ行ってみたかったというのも大きな理由の一つにある。どうやら私は、私が何者であるかを説明するのも、京都だったら誰々知ってる?私は誰々の誰々の友達で〜的な話をしたくも聞きたくもなかったよう。(後で振り返って気づきました)そして、見事に名前以外は聞かれはしなかったし、途中自分のことを話すことになってもみんないい意味でドライでそれがとても心地よかった。

 

さて、この8年間子連れで動き回っていた国内外の旅では、大切な命を守るという本能爆裂、子ども優先で動くことが当たり前になっていた中で、1人で行動するというのは心底身軽さを感じた。

自分の意思で物事を(何を食べるのかさえも)決め、実行する。景色、色、音を感じる、そして何もしない、何も考えないことさえも。

これまで、本当に素晴らしい場所ばかり行ってきたけれど、今回の旅ほど五感が休まり、そして使われた旅はなかったように思う。

 

宿泊していた場所は、人里離れたような場所で景色が素晴らしく、野生のクジャクや鮮やかなグリーンのヤモリがいたり、アボカドやヘーゼルナッツがたわわに実っているような場所。部屋はオフグリッドのシンプルな小屋。夜中にどこかで鶏が鳴き、一日中鳥たちがお喋り。日差しは強く風はからりとしていて、夜は今にもこぼれ落ちそうな満天の星空。

 

毎朝、屋外で太陽の光や時折シャワーのような雨を浴びながらヨガをし、座学を受け、そして3食シンプルなアーユルヴェーディックな食事をいただく。そして夜は真っ暗になるので早々と寝る。

街までも歩くには遠く、クラスまでの時間、そしてフリータイムはひたすら1人を満喫。座学でわからなかった英語を調べたり、小説を読んだり(西加奈子さんのサラバ(上中下)を一気読みできたことが本当に嬉しかった!)、ただただぼーっと風を感じて過ごす。最初は”ぼーっとする”ことが苦手だった私、だって、自分以外の大切な人のために時間を使うことが当たり前だったのだから。起きてから寝るまで(寝ている間も)ずっと自分のための時間。

だからこそしばらくは離れた家族を想い、どう過ごしていいかも分からず、旅程を変更しようかと思ったりもしていたが。。

 

そんな中に数日間身を置くと、あっという間に体が軽くなり、マインドは静かでクリアに研ぎ澄まされているのを感じた。純度が上がっていく感じ。

コーヒーもお酒も必要としないし、遊びにいきたーい!という欲求もなくなっていた。いかにこれまで自分がRajasicだったかと気付かされた。

 

 

birds singing

 

——わたしに還る旅vol2に続く———-

 

 

2023.8.25

 

 

Simple & Relax (Text:KEI)

 

ヨガのアサナ(ポーズ)の練習。

 

初めてのものや苦手なものをやってみると、知らないうちに力が入っていることに気づきます。

 

無駄な力を使ってしまっているということ。

 

わかってはいるんだけどついつい使っちゃう。力でなんとか形を作ってみたはいいけど、体の筋がおかしくなったりどこかを痛めたりしてしまいます。

 

私もまだまだ練習中の身ですが、その過程の中で、最低限の力で体も意識もリラックスして心地よくアサナが味わえるようになってきました。

 

料理でもやりがちなのですが、めちゃくちゃ美味しい料理を作ってやろうと肩に力が入って意気込んで、調味料をわざわざamazonで買ったりしてプロみたいな味を出そうかと思ったけど、素材や味が喧嘩して何かイマイチ、みたいなことがあったりします。

結局、塩だけで食べたら素材の味も引きでて一番美味しかったね、みたいな。

 

 

そしてこう思います。「シンプルが一番、小細工必要なし」

 

 

息子が初めて包丁を使っている姿を見た時は、見ているこっちまで緊張します。

無駄に力が入り手を切るんじゃないかとドキドキ。

最初は何でも力んでしまうものですよね。

無駄な力が抜けてきたら、りんごでうさぎができたり、ナスに隠し包丁とか入れようってアイデアが生まれるくらい余裕が出てくる。

「経験」という意味では人生無駄なことは何一つないと思うけど、無駄な「力」は抜きたいところです。

 

 

力を抜く練習をするために、マットの上に立つことはとっても有効だなと思います。

そしてマットの上での練習はマットをおりた日常生活に生かすことができると信じています。

 

例えばスタジオクラスのなかで、マットの上でアサナをとってる時間って、まあだいたい60分とか?90分とかでしょうか。そう考えると、124時間の中で大部分を占めるのって、修行のような日常なんですよね。

 

日常では、他者があらわれ、仕事の肩書きや家庭での役割も出てきて、すったもんだのやり取りののち、心があっちこっちに揺さぶられる。

 

日常に不満や怒り、不安な気持ちが多いと、ヨガに一時的なリフレッシュやリラックスを求め、依存しがちになってしまうかもしれません。ヨガはとってもスピリチュアルな世界ですが、全ての問題をスピリチュアルで解決するというのも、私にはあまりfitしないかな。。。修行のような日常を、どれだけ良くしていくか、そちらの方が自己成長につながるような気がしています♩

 

日常のために、ゴールのために、ヨガがあるだけ。

 

私の先生が言っていた言葉で、

 

「ヨガは満たす手段ではなく、満たされていることに気づく手段です」

 

というものがあります。

 

満たす手段になると、刺激を得るために新しさを追求したり、何かを足したり、誰にも負けない何かや、楽しさを求めるヨガに必死になってしまうかもしれないな。かつての私も、夏のビーチでヨガとかしたいと思っていましたから。。。新米のころが懐かしい笑。

 

そんなところから自由になるのがいいですね。

 

日々、継続して実践するためにもシンプルなものがいい。

 

シンプルなものを自分のために実践している人たちは、確実に向上して、揺るぎないものを手に入れている気がします。

 

私もそんな自分をいつか見てみたい

 

職業としてヨガの先生と言われることがあるけど、自分の感覚では「生き方の選択をした」という感じです。

 

私のSimple Practice/

太陽礼拝A ×5

太陽礼拝B ×5

これらをなるべく毎日継続しています。毎日の自分の定点観測。夏場の暑い日なんて汗だくになりますよ〜。

 

 

Simple × Relax

って最強じゃない?

 

 

と思った夏の終わり。

 

9月からもstudiomonkをよろしくお願いします。

2023.5.17

関わり育む日常  text : TOMOKO

 

 

わたしは一昨年結婚をし、岐阜の田舎の街に移り住み
昨年秋に出産してはじめての育児がはじまりました

すこし前までは仕事もプライベートも好きなことばっかりしていたのが、40代目前にして
四六時中誰かと一緒にいるという暮らしに一変

気ままに生きてきた同士の2人はぶつかることもよくあるし
産後は睡眠不足やホルモンの影響による疲労に加え、彼の仕事も不規則になり
なんて余裕のない暮らしだろうと思ったことも度々で、

自分の世界が狭くなってしまったように感じていました。

なんだか暗くなってしまいましたが(笑)

そんな状況もけっこう楽しんできているのは、
日常のなかにうつくしさがたくさん存在していることに気づいているからかもしれません

差し込む光に季節の移ろいを感じたり
赤ちゃんの寝顔をみて内から沸き起こる感情におどろいたり
ときに理解不能な行動をしていても彼の存在を愛おしく思えたり

産後の自分自身の変化についても、フラットに捉えることができればそれは
やはり命の営みとしてうつくしいな、とおもいます

 

ヨガや瞑想的なことをやっていると
「内面のあり方が外の世界に現れる」
という考え方に出会うかもしれません

それも最近では一部のものではなく
もうすこし一般的に認識されはじめているように感じます

いまわたしの世界は
ひとりがふたりに、そして三人になり
あたりまえのことのようですが、三つの生命体が近くに存在して
ひとりの人間という内側に宇宙をもった存在がみっつ
お互いに影響しあって日々変化している

これはわたしの宇宙におおきな拡がりをもたらしてくれています

 

ちいさな新芽がゆっくりと育っていくように
試行錯誤しながら細やかな栄養を少しづつ注ぐ日々
関係性が育っていくのはこうゆうことなのかな、と
内側の世界と外側の世界を眺めています
(みんなこれをやっているのか!凄い!という気持ちも湧き起こったり)

おおきな変化がやってきたときや、大変だと感じるときには
長年傍らにあるヨガや瞑想が、お守りのようなツールになってくれていて
「わたしには、わたしがいる」
という心強さを思い出させてくれます

 

とはいえ自然のなかに身をおくのが大好きな私にとって
いまのマンション暮らしが少々窮屈なのも事実

そのときそのときに軸を整え、信頼を育てながら
人や家や土地に出会っていきたいなーと思っているこの頃です。

 

 

2022.12.6

続けること 文:Ena

 

オンラインセッションを始めて2年以上経つ現在、毎月のメンバーはほぼ固定されてきました。ライフスタイルの変化で時間帯やプログラムが変更になったり、旅好きなガイドばっかなものでとんでもないところから配信したりしていますが、、、いつもライブでお会いする方、アーカイブをいつも使っているという方、本当にありがとうございます。時々、勇気を持って新規で登録してくれる方、ありがとうございます。
ヨガをすることが生活の一部になり、ずっと続いていると言ってくださり、ああ嬉しいな嬉しいなと思っている。

 

さて。少し前、10年ぶりくらいに京都では老舗のナチュラルワインを飲めるビストロに行った。ご夫婦でされているそのお店は、物静かな旦那様が料理をして、いい具合にほったらかして、必要な時に必要なことだけを語ってくれる奥さまがサーブをしてくれる。15年を迎えられるそのお店は、お二人のパッションはそのまま、お店の雰囲気もそのまま、ワインへの愛も冷めぬままだった。

ナチュラルワインの世界の大きな変化を感じながらも、お二人は生産者さんに敬意を忘れず、相変わらずクローズ後は一緒にワインを飲んでいると言っていた。(素敵♡)

 

先日Mr.monkが独立前にいたピザレストランへ行った。それも10年ぶりほど。歴史のある立派な京町家の貫禄はそのままに、設えもメニュー、クオリティも変わらないことに心底ホッとした。
Mr.monkとオープンの頃からお店を続け、彼からお店を引き継いでずっと続けている店主は、ここに来たらこれが食べられるっていうのを大切にしたいと言っていた。

 

変化の大きい時代を生きている私たち。

常に変わることが大事で、変化の波に乗るスピードを問われるような風潮があるように感じる時もある。もちろんそれもとても素晴らしいことだと思う。

でも、新しいことをしてなんぼ、個を出してなんぼ、何者かになってなんぼ、、、なのだろうか。フォロワーが大事?あっという間に◯◯マスターになれる?
SNSの普及により、簡単に映えることができるようになった。でも、そこに本当に中身は伴っているのだろうか。

 

敢えて変わらないことを選ぶこと、同じこと(とは言っても側からはわからないような微細なアップデートを繰り返されている)を淡々と長く長く続けることの尊さを噛み締めて、猛烈に感動した。

 

それができる人にはかなわないな。
私も、本当に大切なことを見極めて、1日1cmずつでも、目に見えないくらいわずかでも、日々の成長を重ねていきたい。誰かに見せる自分じゃなく、自分自身に誠実に生きていきたい。
そしてその先に見える景色を見てみたい。

私はそうあろう。
最近、そんなことを深く思っています。

 

 

 

2022.8.14

  1. 「Both Sides Now」 ( 文:Kei

 

 

 

 

2022 夏休み。

スタジオ、レストラン共に7月から8月にかけて1カ月夏休み中。

 

随分と更新が滞っておりましたが。。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

 

先日、『コーダ あいのうた』という映画を観ました。周りからいいよいいよと言われながら、ようやくゆっくりと鑑賞することができました。

 

ブラックユーモアも飛び交う映画で小さなお子さまがいらっしゃる方には一緒に観るのはちょっとな〜って感じなんですが、、、この映画がなんか良かった。

 

大学生の時に結婚式の音響のバイトをやっていたのですが、式の最中にかけて欲しいとリクエストが多かったのがカナダのアーティストJoni Mitchellの歌う『Both sides now』。

 

邦題は『青春の光と影』

 

みなさんも一度は聴いたことがあるのではないでしょうか。

 

当時はカーペンターズの『I need to be in Love (青春の輝き)』と、どっちだったっけ、ってなるくらいよくわかっていなかった私。

 

Both sides now』は、言葉の流れが綺麗〜とか、感覚的な歌詞だな〜と思っていたのですが、あらためてちゃんと聴いて見るとすごく良いんです。

 

『コーダ あいのうた』では、終盤に主人公のEmilia Jonesが、手話をしながらこの歌を歌うのですが、Joni Mitchellの揺らぎのあるとってもあやう〜い声もすごく好きなのですが、Emiliaバージョンはとっても力強くて優しくて、聴いているととても染み入ります。泣いてしまいそうになるくらい心に飛び込んできます。

 

雲を、愛を、人生を、両側からも上からも下からも見てみたけど、結局本当のところはよくわかっていないのだ。という感じの内容の歌詞です。

 

う〜んしみる。

 

わかっているつもりになってしまうことってたくさんある、もちろん私もです。わからないから、人はいろんなものを形にしたいと思ったり、取るに足りない小さな自分を知った時に、心地いいものに囲まれていたいとか、やりがいを感じたいとか、愛されたいとか思ってしまうのも、とても自然なことだなと、この歌詞を見ながらそう感じていました。

 

すごく哲学的な歌詞だけど、自分らしい日々を重ねていかなくっちゃな、と、胸がジンとした真夏の夜。

 

 

Both sides now』(Joni Mitchell

I’ve looked at  clouds from both sides now.

From up  and down and still somehow.

It’s cloud illusions recall.

I really don’t know clouds at all.

 

 

I’ve looked at  love from both sides now.

From give  and take and still somehow.

It’s love illusions recall.

I really don’t know  love at all.

 

 

I’ve looked at  life from both sides now.

From win and lose and still somehow.

It’s life illusions recall.

I really don’t know life at all.

2022.3.1

リオープンから1年(Ena)

 

少しずつ寒さが緩んで、春の気配が漂ってきた頃。

2月28日 Studio monkがリオープンして1年経ちました。

 

いつもと変わらずスタジオの窓を開け、鳥の声を聴きながら1年を振り返りました。

相変わらず、私たちガイドがヨガをして得られる恩恵をお伝えしたり、私たちが最高!面白そう!と思うことだけを企画してシェアしていますが、有難いことにたくさんの方に足を運んでいただき、毎回一緒に感動を味わうことができていること、本当に嬉しく思います。

 

Studio monkのコンセプト

“HARMONY” “ENLIGHTENMENT” “JOY”

に今一度立ち返り、私自身、日々の暮らしにある小さな変化や感動を受け取れるよう、常に心にスペースをそして心をピュアにしていよう

そんな風に襟を正した日となりました。

 

これからもmonkお二階でお待ちしております。
どうぞよろしくお願いします。

 

2021.11.29

坐ってみるということ(文:Ena)

 

Studio monk初開催の朝の座禅

 

僧侶の米澤さんは金継ぎのWSでお会いしたご縁だ。

金継ぎの時、米澤さんから放たれる穏やかで静かなオーラと無駄のない静かな動きになんだか惹かれた。米澤さんが割れてしまった器をそれはそれは大切に、でも和やかに修復されていく姿にこのお坊さんは本物だ!と思った。

米澤さんが毎朝座禅を組まれていること、コロナのこともありオンラインでも座禅を教えていることを知ってStudio monkでの座禅の会をオファーした。

 

晩秋の早朝、凛とした空気の中、座禅の会が始まった。

「何はともあれまず座ってみましょう」から始まった座禅。

その後、米澤さんは座禅の話の中で、「座禅って何でしょうね。僕も分からないけれど座っています」とおっしゃった。

とはいえ、座禅についてのお話はとてもわかりやすく的確で心にとても響くものばかり。実践されているからこそ伝わる話。

 

最後に座った15分間。心身ともにリラックスして心地の良い時間の中、
ラスト3分、東山から顔を出したお日様の光がスタジオに流れ込んできた。

瞑想と違い、半眼で行う座禅。

眠るのでもなく覚醒しているのでもない、とろんとした状態の私の瞳に飛び込んできた柔らかに輝く光はまるで命の輝きを具現化しているような、言葉では言い表せない喜びに満ちたものだった。

 

何かになろうとしなくていい、何かの境地に至ろうとしなくていい、わからなくてもいい。

 

ただ心が素直で喜びに満ちた状態であることに気づけたら。

これを幸せと呼ぶのでしょう。

 

 

 

 

 

2021.8.17

Forest work in the woods(文:ENA)

五山の送り火も終わり、京都は秋の訪れを感じる風が吹き始めた。

涼しい風を感じながら八ヶ岳の麓で過ごした日々を思い返す。

 

関西から遠く離れた地で、大人も子供も森の中で過ごした記憶。

森の匂い、踏みしめた土の感触、音、毎日の激しく美しい雷雨。

だんだんと暮れていく中でのmonkオーナーシェフ今井義浩によるプリミティブな食事。その香り、味、旅を共にした仲間との会話。食事の終わりには真っ暗で、キャンドルやランタンの明かりの中で過ごしたこと。

間も無く1ヶ月経つが、皆さんの記憶にどれくらい残っているだろうか。

 

予想以上に参加の多かった子供たちはたくましく、よく食べよく遊んでいた。

約2年間マスク生活や、お出かけの制限などを強いられてきている子供たちの心にはどんな思い出となっているだろうか。

私は、14名の子供たちが、食事会場で皮ごと焼かれたとうもろこしを驚きと喜びの表情を見せながら手に取り夢中で剥いて、むしゃむしゃかぶりついている姿がとても印象に残っている。

1人1本くらいいけるんじゃない〜?という予想は見事命中した。

 

朝のヨーガの時間、静かで美しい時間。

キャンプ場という環境、少しの不便のある時間の中で、ふと気がつくと何もかも満たされているという気づき。

 

森の中で働いた私たちのSENSEが、これからの生活の中でふと作用する時があるとするならそれ以上の喜びはありません。

 

そして私たち夫婦としても、これからの私たちの向かう先がより明確になったようなそんな旅でした。

 

ご参加くださったあなたとあなたとあなたとあなたと、、、、、、、、、、、、

清里の森をガイドしてくださったswiss カズさん、

森を通して地球の向かう先を教えてくださったcamino natural lab よしかさん

キッズを清里の森へ誘ってくださった正子さん

美味しい野菜を提供してくださった石毛さん

たくさんアレンジしてくださったPICA八ヶ岳明野の高島さん

monkファミリーのケイさん、リョウさん

そして、あの地でご縁のあった皆さん

 

本当にありがとうございました。

 

 

photo by soelu57    (素敵な写真をありがとう)

 

 

 

 

2021.5.15

祈ること (文:RYO)

 

 

祈ること(文:RYO

 

 

京都でできる一日お遍路、

御室八十八箇所霊場。

 

仁和寺の裏、成就山山道にお堂が点在し、それぞれのご本尊・弘法大師が祀られている。

四国八十八箇所の写しである札所を数時間で巡ることができ、成就すれば四国八十八箇所霊場巡礼と同じご利益を得ることができるとされる。

新緑に守られ、この山道を歩かせていただいた。

山道を登ったり、少し降ったり、

陽射しを受けるほど、風に吹かれるほど

私は生かされていた。

寺社で手を合わせる時、それが88回も行うのだとしても、祈願成就を願うことはない。

目の前に広がることへ、心が落ち着いた状態で前向きに取り組めるように、心の中で宣言する。

人知をこえた大いなるものに聞いてもらうのだ。

祈ること

その偉大さは知らない。

それでも、

心の宣言が自分自身とのつながりとなり、

自らの行いとなり、

私に関わってくれる全ての人やことがらに良き風が吹けば、

光がさせば、

それが私が祈ることのご褒美になるのだと思う。

 

 

Photo:Yuka Yanazume

2021.4.30

「Sense of wonder 」 (文:ENA)

オトナになるということ

 

物理的に身体が変化していくということ

時間の流れが分かり、予測をしたり効率的に動けるようになること

感情を隠したり、大袈裟にしたり、当たり障りのない対応ができるようになること

言葉を巧みに使って、表現できること

必要外には涙を流さなくなること

 

3月にmonkのプロジェクトメンバーで1週間程沖縄の南城市に滞在した。
そこでの体験が言葉にできないほど感動的で、1ヶ月経った今でもまだ余韻に浸り、いつでもあの地へ脳内トリップ出来てしまうほどだ。

3月の沖縄は少し肌寒さを感じる日もあったが、からりとしていて日差しは強く、南国の花が咲き、亜熱帯特有の緑が萌えていた。

子供たちは、日に日に野生化していき、裸足で駆け回りこんがり日焼けをして、2人目の息子ハルは、日光が燦々と降り注ぐビーチで生まれたままの姿で3歳のお誕生日のお祝いをしてもらった。

私たち大人は、それぞれが活動しているそれぞれの場所から、それぞれのタイミングで集合して日々を共にした。
大人になってから大勢で行動することなんてなかったけれど、起こる出来事全てが何もかもパーフェクトで、大袈裟でもなんでもなく一瞬一瞬が輝いて見えた。

そして最初に挙げた”オトナ”の定義をいい意味でどんどん壊されて、私たちに備わっているSenseがシンプルになっていくような気がした。

 

全員が集合した最終日、大人だけで食事をした。
関根麻子さんが一人で営まれている”胃袋”というお店。(1つ前のケイさんのジャーナルもご覧ください)

 

食事をして涙が出たなんて初めての体験だった。
あの場を共有するのに言葉なんて必要なかった。南国の風に乗って自由にダンスする植物たちを見ながら、麻子さんの魔法にかけられたわたし(たち。きっとみんな)は、まるで時が止まってしまったかのような静かで深い感覚の中をフローしていた。

体と心全部がセンサーになって、お食事と時間と空間を味わう。

 

大人になって良かったなあ、みんなで声を揃えて笑った。

 

オトナにになるということ

 

美しいものに触れて美しいと感じる心を磨けること

素敵をシェアできる人たちと一緒に過ごす時間を作れること

持たなくてもいいこと、しなくてもいいことを選べること

美味しいお酒と食事をいただけること(笑)

想い全てを言葉にする必要はないということ

 

 

私がヨガを続ける理由は、きっと心の感度を磨き続けるためなのだろう。

4月の終わり、哲学の道の緑が日に日に濃くなる美しさを、雨の日の艶っぽさを、生命が輝いていることを、体と心全部で感じていたい。

いつでも生まれたてのピカピカしたスピリットでこの混沌として美しい世界を泳いでいたい。

 

そして、麻子さんのようにとはおこがましくて言えないけれど、Studio monkに来てくれた人が、静かに深い感動に浸れるような場を作れたら、そう思っている。

 

 

沖縄南城にまだ恋をしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021.4.6

「スタイルのある人」(文:KEI)

 

 

 

何気なく友人に「好きなお店ある?」と聞いた。

1位 生鮮館ナカムラ」

2位 マルギン」

3位 HELP

どれも京都市左京区で地域に密着している名スーパーだ。

彼女はケータリングを生業としていて、

職業柄、出てきた良いお店は全てスーパーだった。

彼女のスタイルが突如飛び出してきた瞬間。

スタイルが確立しているというのはこういうことなのかもしれない。

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3月、Monkメンバーで沖縄へ行った。

程よい湿気と生温かさに包まれた南城という場所、私たちは自然素材を使ったレストランに足を運びみんなで食事をした。

濃い緑色の植物たちが風に吹かれている様子を窓の外に眺めながら、みんな同じ方向に座り、それぞれに食事をいただく。どういうわけかみんな自然と口数が減り、ただ同じ空間に存在しながら、食事瞑想へと変化。

 

また、今帰仁という場所に滞在した時は、地元に住む人たちとたくさん話をした。みんなとても伸び伸びしていて、大人たちが植物や食材の話で盛り上がっていたのがとても印象的だった。

沖縄に対する想いや実情、仕事のことなど話してくれて、これまで沖縄に何度も訪れているのに、恥ずかしながら、沖縄の食、人、文化、にちゃんと向き合えたのは初めてかもしれない、という気持ちになった。

 

最後に滞在したやんばるという森林地帯では、お宿のダブルブッキングに車のトラブル、そのほかにもたくさんの問題が続いて、思うように毎日が進まなかった。最終的には濃霧でやんばるから出られなくなり、もうまじむかつく!!という気持ちも通り越して、私の中に溜まっていた毒素のようなものがちょっとずつ出ていったような気持ち、、。(京都に戻ってきてからも、デトックスは続いています、、、)

東京からやんばるに移住して十数年という宿のホストもけいさんにとって無駄なことはひとつもないですよねと言ってくださった。

 

 

時間をともにしたMonkのメンバーや出会った方々全てにスタイルがあった。

 

自分にとっての良いを理解しているから、やらなくて良いことが明確に見えている、という感じだろうか。

 

 

やんばるの宿で読んだ本に、

「遠くの山々を見ながら、鳥の声を聞きながら、ベランダで収穫したものを選別したり、種をふるいにかけたり、といった作業をすることがとても好きです。緑色も好きだし、カレーも好きだけど、そういった類の「好き」ではなくて、もうそれだけで、人生が終わって仕舞えばいいのに、、、と思うくらい「好き」なのです。」

という一節があった。

 

好きなことをして暮らしたい、というのは一体どういうことか。

自分のスタイルとはどういうことか。

私たちは何を「しなくても良い」のだろう。

スタイルのある人たちは、一体何を「していない」んだろう。

 

いろいろ考えさせてもらったいい時間だった。

 

作るべきは、To do リストではなく、Stop doing リスト、なのかもしれない。

 

この旅のきっかけをくれた今井シェフ&エナさん、そして時間を共にしてくださった方々に心から感謝!

写真:Yuka Yanazume

2021.3.23

「春」(文:ENA)

 

春分を迎えて。

今年もまた哲学の道に春が来ました。

 

2年前まではこの時期、哲学の道には様々な国の言語が飛び交い、歩行者の渋滞が出来、砂埃が立ち込めていた。それが去年世界は一変して、世の中から哲学の道が忘れられてしまったんじゃないかと思ったのはまだ記憶に新しい。

それでも桜や雪柳は自然の法則のもと、何の影響もなく堂々と咲き誇り、今まで見る側だった私が一斉に見られているようで何とも言えない気持ちになったことを覚えている。

そして、夜空を見上げるといつも何機も飛んでいた飛行機が、すっかり見えなかったことも。

 

あの春、私を含め多くの人が自分自身と深く向き合い「わたしとは」と考えたはず。1年前きっとみんな種を蒔いたんじゃないかな。

 

既に芽が出た人も、まだまだ根を張っている人もいると思うけれど、私たちはとにかく淡々と自分の畑を耕し続けるしかないんだと思う。誰かに耕してもらったり、誰かの畑を耕すことはできないのだから。どんな芽が出てどんな風に育っていくのか楽しみにしながら。

四方八方に強く張った根から芽が出て太い幹となり花を咲かせて実を結ぶ。
そのために私たちは、必要な栄養と水を注ごう。

 

ちなみに、私の芽のようなもの、どんどん育っていると思います。

私の選択一つ一つがその芽を育てるのだから大切に育てよう。

 

 

自然の法則が働いて、哲学の道は今年もまた桜で埋め尽くされそうです。

是非スタジオに来れる方はお越しください。リアルで、そしてオンラインでも感動を共にしたいな。スタジオからの景色は本当に圧巻なんですよ。

2021年の春もmonkお二階にてお待ちしております。

 

(文:ENA)

 

 

 

 

 

 

2021.3.5

 

 

「Our life in Monk」 (文:KEI)

2020年の夏。

 

「とりあえずケイさん、ハグしよう」

 

エナさんがそう言った。

上賀茂神社の御神水に足をつけ、御手洗川を行ったり来たり、

2人でこれからのstudiomonkについて話をした。

遅すぎる青春。

 

コロナ渦。

studiomonkもマイナーチェンジを繰り返す日々で、楽しくも忙しい毎日だった。

 

私がstudiomonkのマネジメントを担当するようになってから3年。

人がたくさんいればいろいろ起こる。エナさんとは楽しい時間も辛い時間も一緒に過ごした。

 

心の機微や趣を読むことが苦手(要は空気読めない)で調整役はまだまだ半人前な私は、客観的視点を養うことをこの場で学んでいる。マネージャーという立場はとてもチャレンジングでありがたい。失敗も多く、理不尽なことに立ち尽くしたり、不甲斐なさに申し訳なくなったりする。青春ふうに言えば、小さな規模でも良いから誰かと一緒に叶えたい何かがあるのだと信じたいのです。

 

私がエナさんを「ヨガ的だ」と表現するのには理由がある。

エナさんはいつも機嫌が良い。

これは誰にでもできることではないなと思う。

エナさんのシンプルでナチュラルなライフスタイルやクラスが安定してそこにあり、だからこそstudiomonkがあるのだと思っている。Studiomonkのアイコンである。

 

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先日、studiomonkのリニューアルに際し、アムリタトシさんの哲学講座が開かれ、私もそれを受講した。トシさんはインドでヨガを体系的に学び、心や体で実践を繰り返し、それを「トシさんの言葉」というフィルターを通して伝えてくれた。

 

私たちはなぜヨガを練習するのだろう。

痩せたい?

だれかにみて欲しい?

自己実現?

哲学を勉強したい?

健康になりたい?

 

幸せの価値基準は人それぞれだから、理由はどんなものでも良いと思っている。

講座の中で、

「ヨガの練習 = 外側に幸せを求めない練習」

という言葉があった。

そして、

「外側は、外側に保つ」

という言葉もあった。

自分が幸せだと思うものをようやく得たとき、その視点はちゃんと自分自身に向かっているだろうか。

 

知らず知らずのうちに外側へと向かってしまう視点は、何を得ても満たされない自分を作ってゆくのかもしれないと、背筋が伸びた。

 

肉体や心が成長してゆく過程がじぶんの人生でありドラマなのだろう。

私もたくさん学び失敗して、いつも機嫌よくいたいと心から思えた時間だった。

 

 

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「とりあえずケイさん、ハグしよう」

 

とエナさんに言われ、私は心が解けた。

 

「これからぶちかまそうぜ」

 

奔放で見切り発車的で少しのあやうさが見えるところも魅力。

どこか自分を映し出しているこのエナさんという女性に、いつも親近感が湧く。

 

この日は夏の終わりで少し涼しく、境内のかき氷を食べながら心の底から感謝したことを鮮明に覚えている!