Simple & Relax (Text:KEI)
ヨガのアサナ(ポーズ)の練習。
初めてのものや苦手なものをやってみると、知らないうちに力が入っていることに気づきます。
無駄な力を使ってしまっているということ。
わかってはいるんだけどついつい使っちゃう。力でなんとか形を作ってみたはいいけど、体の筋がおかしくなったりどこかを痛めたりしてしまいます。
私もまだまだ練習中の身ですが、その過程の中で、最低限の力で体も意識もリラックスして心地よくアサナが味わえるようになってきました。
料理でもやりがちなのですが、めちゃくちゃ美味しい料理を作ってやろうと肩に力が入って意気込んで、調味料をわざわざamazonで買ったりしてプロみたいな味を出そうかと思ったけど、素材や味が喧嘩して何かイマイチ、みたいなことがあったりします。
結局、塩だけで食べたら素材の味も引きでて一番美味しかったね、みたいな。
そしてこう思います。「シンプルが一番、小細工必要なし」
息子が初めて包丁を使っている姿を見た時は、見ているこっちまで緊張します。
無駄に力が入り手を切るんじゃないかとドキドキ。
最初は何でも力んでしまうものですよね。
無駄な力が抜けてきたら、りんごでうさぎができたり、ナスに隠し包丁とか入れようってアイデアが生まれるくらい余裕が出てくる。
「経験」という意味では人生無駄なことは何一つないと思うけど、無駄な「力」は抜きたいところです。
力を抜く練習をするために、マットの上に立つことはとっても有効だなと思います。
そしてマットの上での練習はマットをおりた日常生活に生かすことができると信じています。
例えばスタジオクラスのなかで、マットの上でアサナをとってる時間って、まあだいたい60分とか?90分とかでしょうか。そう考えると、1日24時間の中で大部分を占めるのって、修行のような日常なんですよね。
日常では、他者があらわれ、仕事の肩書きや家庭での役割も出てきて、すったもんだのやり取りののち、心があっちこっちに揺さぶられる。
日常に不満や怒り、不安な気持ちが多いと、ヨガに一時的なリフレッシュやリラックスを求め、依存しがちになってしまうかもしれません。ヨガはとってもスピリチュアルな世界ですが、全ての問題をスピリチュアルで解決するというのも、私にはあまりfitしないかな。。。修行のような日常を、どれだけ良くしていくか、そちらの方が自己成長につながるような気がしています♩
日常のために、ゴールのために、ヨガがあるだけ。
私の先生が言っていた言葉で、
「ヨガは満たす手段ではなく、満たされていることに気づく手段です」
というものがあります。
満たす手段になると、刺激を得るために新しさを追求したり、何かを足したり、誰にも負けない何かや、楽しさを求めるヨガに必死になってしまうかもしれないな。かつての私も、夏のビーチでヨガとかしたいと思っていましたから。。。新米のころが懐かしい笑。
そんなところから自由になるのがいいですね。
日々、継続して実践するためにもシンプルなものがいい。
シンプルなものを自分のために実践している人たちは、確実に向上して、揺るぎないものを手に入れている気がします。
私もそんな自分をいつか見てみたい。
職業としてヨガの先生と言われることがあるけど、自分の感覚では「生き方の選択をした」という感じです。
私のSimple Practice/
太陽礼拝A ×5回
太陽礼拝B ×5回
これらをなるべく毎日継続しています。毎日の自分の定点観測。夏場の暑い日なんて汗だくになりますよ〜。
Simple × Relax
って最強じゃない?
と思った夏の終わり。
9月からもstudiomonkをよろしくお願いします。